筑豊の風土と文化に育まれ、奉仕の理念で結ばれた飯塚ロータリー

ロータリーとは
ポール・ハリス:ロータリー創設者(Paul P.Harris/1868~1947)

ロータリーの誕生とその成長


20世紀初頭のシカゴの街は、著しい社会経済の発展の影で、商業道徳の欠如が目につくようになっていました。 ちょうどそのころ、ここに事務所を構えていた青年弁護士ポール・ハリスはこの風潮に堪えかね、友人3人と語らって、 お互いに信頼のできる公正な取引をし、仕事上の付き合いがそのまま親友関係にまで発展するような仲間を増やしたい、 という趣旨でロータリークラブという会合を考えました。 ロータリーとは集会を各自の事務所持ち回りで順番に開くことから名づけられたものです。
こうして1905年2月23日にシカゴロータリークラブが誕生しました。 それからは志を同じくするクラブが、つぎつぎ各地に生まれ、国境を越えて、今では世界166か国(2004年6月現在)の地域に広がり、 クラブ数31,936、会員総数1,219,532人(2004年6月30日RI公式発表)に達しています。 そして、これら世界中のクラブの連合体を国際ロータリーと称します。 このように、歴史的に見ても、ロータリーとは職業倫理を重んずる実業人、専門職業人の集まりなのです。その組織が地球の隅々にまで拡大するにつれて、 ロータリーは世界に眼を開いて、幅広い奉仕活動を求められるようになり、現在は多方面にわたって多大の貢献をしています。


ロータリーのはじめの4人
左から
ガスターパス・ローア(Gustavus Loehr)・シルベスター・シール(Silvester Schiele)
ハイラム・ショーレー(Hiram Shorey)・ポール・ハリス(Paul P.Harris)

日本のロータリー


わが国最初のロータリークラブは、1920(大正9)年10月20日に創立された東京ロータリークラブで、翌1921年4月1日に、世界で855番目のクラブとして、国際ロータリーに加盟が承認されました。 日本でのロータリークラブ創立については、ポール・ハリスの片腕としてロータリーの組織をつくり、海外拡大に情熱的に取り組んだ初代事務総長チェスリー・ペリーと、創立の準備に奔走した米山梅吉、福島喜三次などの先達の功を忘れることができません。その後、日本のロータリーは、第2次世界大戦の波に洗われて、1940年に国際ロータリーから脱退します。戦後1949年3月になって、再び復帰加盟しますが、この時、復帰に尽力してくれたのが国際ロータリーの第3代事務部長ジョージ・ミーンズでした。 その後の日本におけるロータリーの拡大発展は目覚ましいものがあります。ロータリー財団への貢献も抜群で、今や国際ロータリーにおける日本の地位は不動のものになりました。 現在、日本全体でクラブ数は2,274、会員数87,615人(2016年6月現在)となっています。

2023・7・15 ホームページをリニュアルしました。
2023・6・30 2022-2023 飯塚ロータリークラブ活動方針を更新しました。
2022・6・27 役員・理事・委員会所属一覧表(2022〜2023年度)更新しました。